2010年6月27日日曜日

本来の(森・モリ)作りとは?

雨も降り、森の中は湿度が非常に高い。少し体を動かすだけで汗ばむ。
そんな日だったので、樹の上での作業は避け、森の中にサインボードを取り付けていました。
ボード2枚を2箇所に取り付けるが、本決まりではない。


第一のボード
稲妻のシャーマンこと(ダニオン・ブリンクリー)の言葉
これを取り付けていたら遠くで雷が鳴っていた。
・・・答えてくれたようだ。ありがとうダニオン。
とりあえず引掛けることができたのでこの場所に

海へもどるという運命をたどらない雨水など、一滴もないということを知ってますか?

私たちがやろうとしていることはそういうことなんです。

わたしたちは雨の滴と一緒で、その源、

つまり私たちがやってきた場所に戻ろうとしているだけなんです。



第二のボード
老人クラト『愛とは』何かを語る
宇宙船が上空でとどまっているようだ。
もっと大きなボードにすればよかった。
しかし、これ以上大きいと目だちすぎ。


愛とは、意識の繊細な一成分のことである。

それは、存在の深い意味を、教えてくれる。

愛は、唯一の合法的な麻薬でもある。

間違って、愛が生み出すものを、酒や麻薬の中に、探す人もいる。

愛は、人生において、最も必要な物である。

賢者は、その秘密を、知っていて、ただ"愛"だけを、探した。

ほかの人は、それを、知らないから、"外"ばかりを、探した。


どうやったら、愛が、手に入るかって?


愛は、物質でないから、どんな技術も、役に立たない。

それは、思考や理性の法には、支配されていない。

思考や理性の法が、愛に、従っているのだ。

愛を、手に入れるには、先ず、愛が、感情ではなく、存在であるということを、知ることだ。

愛とは、なにものかであり、実在している、生きている精神である。

だから、我々の中で、目覚めると、我々に、幸福を、そして、すべてのものを、もたらすもの…


どうしたら、愛が、くるように、できるのか?


先ず、最初に、存在していることを、信じること(愛は、見ることはできない。ただ、感じるだけだから)(それを、神と呼ぶ、ひともいる)。

それが、出来たら、心の奥底にある住まい、つまり、ハートに、探すことだ。

それは、すでに、我々の中にいる。呼ぶ必要はない。

来てもらうように、願うのではなく、ただ、自由に、出るように、させてやること、ひとに、それを、与えてやるように、することだ。

愛とは、求めるものではなく、与えるものなのだ。


どうやったら、愛が、手に入るかって?


愛を、与えることによって

愛することによって


「もどってきたアミ」 エンリケ・バリオス 著 より引用




第三のボード

このボードは以前クツナ氏が作業小屋を作った際、その壁に取りつけたもの。
その内容は、あるアイヌのシャーマンがこの森に訪れた際に遺していった言葉。
この山には神が宿り、三つの大きな岩がご神体になっているという。
ここに人間を育てる森を作りなさい。そう言って去っていったそうだ。
ちなみに、ゆずりは学園の名前はここからきている。



『神石のモリ』

生命を産みだす母なる大地 生命をめぐらす父なる太陽

父なる太陽が母なる大地をめぐり、ともに生命の源となる

子は森(母里・モリ)で守り育てられ、人の営み、自然の営み共感を学び、
自立(母離モリ)の準備をする

自立(母離モリ)の時期をむかえた子は山へと登る


山の道は決して一本ではない。学んだことを最大限に生かして山の頂にたどりつくであろう。

父なる太陽の導き、母なる大地の導きに感謝し、子供(少年・少女)は青年として成長し、生きる力を身につけ、一人前の姿となり下山してくるであろう。

父なる太陽 母なる太陽 自然を無視し忘れることは

同時に自然の中の一つである人間の生き方を不自然に導くことになり

命も不自然に導くことになる


ゆずりはの木 母なる大地が生み出し

葉は父なる太陽を平等に受ける様に広がっている

古葉は枯れていくのではない

次の役割として、子を育てる土壌になり

この大地に根を張り

本来のモリづくりを願う

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