2008年12月22日月曜日

★ツリーハウス作り1日目

昨日は田原市‐NPO法人ゆずりは学園が管理する「森のスクール」でツリーハウス制作に取り掛かる。
あらかじめ、お目当ての樹は先月決めておいたが、今回助手を連れてきたのでもう少し大きなサイズにしてみようかと思い、急きょ第二希望の樹に変更。
既に材料はあたりに用意されている。ゆずりは学園では数年をかけてジャングルのような鬱蒼と茂る森を整備し、森と人との共存(里山づくり)を目指している。活動の中心は教育。森のスクールは発達障害児を対象に体験学習や癒しの場となっている。様々活動がある中、ツリーハウスはそもそも学園理事長の沓名氏がしきりに提案し、展望台としてのツリーハウスは既に出来上がっている。
当初私としては、ツリーハウス全般にさほど興味はなかった。あえて冒険を疑似体験する感じが偽りっぽく、特にこだわってつくる人は、生活に余裕がありよほど暇な人、そんなイメージだった。
話がそれてしまった。元に戻ると、この森はそんなわけで材料となる間伐材は豊富にある。
しかし、通常ツリーハウスには地上に同様の家なり小屋をつくるおおよそ5倍ぐらいの労力がかかるといわれている。そのため解決すべき労力に対する課題をいくつか掲げた。
  1. 仮設用の足場をわざわざ作らない。
  2. 釘やボルト類は極力使わない。
  3. 設計図をいちいち書かない。
  4. 重い材料は使わない
  5. 繰り返すが、なるべく材料は現地調達に努める。
  6. 熟練を要しない
そうなると、ほとんどパプアニューギニアのような手法をとるのかと思われる。まさに昨日の初段階ではそうであった。高さを比べれば、それよりはるかに低いので見劣りがする。しかし、そこは山の斜面であって三河湾が樹上から展望でき、日本でもっとも美しい夕日が見えるところとして有名な所だそうだ。
話を戻すと、今回のツリーハウスは試作というよりも実験である。
上記の労力的課題は出来具合を気にしなければお遊び程度にできる。
しかし問題は、究極、いかに極めるかにある。そのため本来の深層課題が浮き上がる。
  1. 極みの中心には樹木との一体化にある。
  2. そのイメージを具現化する手法を編み出す。
  3. その手法を誰でもが容易にできるようにする。
今回カメラを忘れて記録ができなかったが、明日は具体的にその取り掛かりを写真や図を参照に説明していこう。よって本日は以上。


2008年12月20日土曜日

★はじめに


私、村田弘志はツリーハウスについてはインスタントコーヒーのCMで初めて目にする程度だった。
以前読んだ「建築家なしの建築」B・ルドルフスキー著、には樹の上に住む人々の挿絵が載っている。それはの植民地時代における、樹上に住む北米のインデアンが侵略者に対して抵抗している絵である。しかしそこにはツリーハウスは描かれていない。たぶん作者は樹の上に逃れて抵抗しているインデアンが絵の主題であったのだろう。
ツリーハウスの第一人者、の書いた本にツリーハウスの歴史がある。その中で、パプアニューギニアには今でも樹上のてっぺんに住む人々がいるのには驚いた。地上には危険がいっぱいあり、確かに毒蛇やら獰猛な動物がいるのは想像できる、樹上が一番安全なのだそうだ。何より、彼らの信念は地上に悪霊がすんでいると信じていることである。
しかし、現代人まで何ゆえ樹上に住むというかあこがれるのか。地上が、悪霊によって汚されているのならともかく。
思うにそのあこがれる理由もなんとなく分かる。昨今、まさに地上に悪霊が漂っているごとくである。
確かに精神世界から見れば、地上にはいたるところに生命エネルギーを枯渇させるようなものにあふれている。樹上の生活は何よりもそうしたものから逃れてピュアになる時間を与えてくれるのだろう。
となると、これも癒しとなるか、それって樹上ヒーリング?

明日は、田原の森のスクールに究極のツリーハウスを作るにいきます。よって本日は、以上。