2010年3月28日日曜日

森への招待者

若者が森に来てツリーハウスを作りたいのです。
七人ほどのグループで表浜ブルーウォークに参加しているメンバーです。

以前なら、来客者と言ってしまうところですが、私は山の主でもありません。ましてツリーハウスの主でもありません。
私も含め、ここに来るのは森や山に招かれた人々です。
なんとなくキザな言い方ですが、それなりに山の主が選んだから招かれたと思います。

たまに、自然を擬人化して語る人がいます。
山が語っている、森が教えてくれる、樹に聞け、とかいう言い回し。
自然に精通しているのは分かりますが、突然そう言われると引いてしまいます。
そうなりたくはないのですが、なんとなくそういう人たちの発想も分かるような気がするのです。

森や山の中にいると自分の意識が色々な対象に溶け込み変化して返ってきます。
たとえばツリーハウスにふさわしい樹を見ていると。同時に、樹にとってそれがふさわしいのだろうか、といった逆の発想も浮かんでくるのです。
そうすると、ツリーハウス以外に樹やその周りのことが重要なこととして想い浮かんできます。

本やネットにない情報も浮かんできます。
今までそういったことを伝える言葉や手段が見当たらなかったこともあるでしょう。

人間主体の言葉の綾からどう脱皮するか、そしてどう伝えコミュニケートしていくか、今後の課題です。

2010年3月23日火曜日

ツリーハウスとは

この一年をふりかえり、自分なりにツリーハウスについていろいろ考え、まとめてみました。

定義までまとめるのは、チトおこがましいかな、と思いましたが。
いや、そんなことはない。むしろ昔のように貴族の遊びごとではなくなっている。
かといって、アウトドアの範疇に収まる内容ではない。
今ほど環境に対して関心が高まっている中、癒しの空間を求めてなどと、人間中心には収まりようがない。
そこで、かなり上位概念で収めてみました。

それから、
ツリーハウスの魅力についても、私なりにまとめてみました。
新たなページをつくり、参考になるようにページトップのコンテンツリストに並べておきました。
当ツリーハウスの特徴も、今までと異なる視点でまとめてみました。

環境を意識した際、人間と自然との調和なくしては環境の改善も進みにくいと感じております。
その調和に導く過程において、現行のツリーハウスをより作りやすくすることは私の課題となっています。
そうして、いつの日か私からこの課題が離れていくことを願っています。

2010年3月11日木曜日

タイトルを変更しました



以前('10年3月10日)は、「究極のツリーハウス」でした。

この1年、ツリーハウスとは何か、山や森そして人との出会いを通して常に考えさせられました。
地球とつながることかな、とふと感じているこのごろです。
そのかたちは色々あっていいと思うのです。
ただ、より絞り込んで新たなタイトルをつけるとしたら、唯一このタイトルが残るのかな、と思いました。
「ダヴィンチ・グリットのツリーハウス」です。

2010年3月10日水曜日

遠方より来客ありて地球を想う

久々のブログへの書きこみです。

それに久々にツリーハウスに行きました。数ヶ月ぶり。
風で屋根の波形シートがかなりめくれており、海側に面する方はひどくはがれ、空が見えます。


昨日は遠方より来客あり。
長久手町に住むミクトモのまこさんがツリーハウスにやってきました。
当日は、以前より約束していた日だったので、雨が降っていようが行くつもりでした。
せっかく来て、破れ傘状態の中で濡れてしまっては申し訳ないと思い、少しでも直そうと、朝早く出かけました。

長雨が続いております。あいにくの雨で2月の寒さ。
森の入り口に着くと、どこからともなく見慣れない女性が傘を差して近づいてきました。まこさんでした。

ツリーハウスの中はところどころ水浸しでしたが幸い雨は止んでおりました。
そんな中、のんびりと昼近くまで尽きない話をして過ごしておりました。

話は環境問題にも及びました。彼女は表浜ブルーウォーク加したそうです。炎天下の真夏、約50キロの海岸を清掃しながら歩くイベントです。
ここの「ゆずりは学園」でも物資を援助したそうです。
私も以前その存在を市民団体の冊子で知ったとき、若者のパワーはすごいなと、心を動かされました。若者だけでなく中高年の方も一緒に歩いていますが。

以前ですと、ゴミは絶対減らない、しかも中国やら他のアジアの国々から次々とゴミが流れ着くのに、なぜ今さらそんな無駄なことをするのだろうかと、たいていの人はいぶかしげに思っていたはずです。
あたしもそんな考えの一人でした。
しかし、この考え方こそ、心にゴミを溜め込んだまま人生を終えようとする人たちの悲しい発想だと気付かされたことがあります。

以前、アルピニストの野口健さんの講演会に行ったとき、同じような話が、地球温暖化や止まらぬ環境破壊の話でありました。
環境に詳しい専門家の先生方は、自体が深刻なことをデータから予測できるがゆえに、ほとんどあきらめの状態の人が多いそうです。
このあきらめは一般の私たちにも蔓延しています。環境問題に限らず、これに似たあきらめは心の中に積み重なり環境だけでなく、私たちの精神をも蝕んでいます。

自然の脅威を体験した話を聞き、他人が出したゴミを片付けにエベレストまで行く話しに触れ。
その時に、この地球を慈しむ心が、そんなあきらめを消し去るものだとつくづく感じました。

母親がこどもを愛するように、そこには何のあきらめなどないはずです。